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東京高等裁判所 昭和41年(う)1012号 判決

控訴人 原審検察官

被告人 松原悦夫

弁護人 坂元洋太郎 外一名

検察官 木村喜和

主文

原判決を破棄する。

被告人を罰金二万円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金千円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

原審訴訟費用は全部被告人の負担とする。

理由

本件控訴の趣意は、原審検察官高瀬礼二作成名義の控訴趣意書記載のとおりであり、これに対する答弁は弁護人坂元洋太郎、同真部勉作成名義の答弁書記載のとおりであるから、これらをここに引用し次のとおり判断する。

本件控訴の趣意によると、原判決は法令の解釈を誤り、その結果事実を誤認した違法があり破棄を免がれないと主張し、その理由として、

第一、原判決は、道路交通法第四二条に、車両等は交通整理の行なわれていない交差点で左右のみとおしのきかないものにおいては、徐行しなければならないと規定しているが、右規定は同法第四三条の交差点には適用がないと結論し、本件交差点において被告人通行の道路と交差する被害者通行の道路には一時停止の標識が存するから、被告人には同法第四二条の徐行義務がないといつて、被告人の過失責任を否定した。然しながら、原判決は右の点において同法条の解釈を誤り、延いて被告人の徐行義務違反による過失責任存在の事実を誤認した違法があるのみならず、更に、原判決は自動車運転方法が法令に違反しない場合においても、特別の事情により刑法第二一一条の過失責任を問い得る場合の存することを認めながら、本件においては、そのような特殊事情が存在しないとし、本件事故当時現場附近は既に暗かつたとしても、前照灯の照射により相手方車両の発見が可能であるから、この点からも被告人には徐行或は一時停止の義務はないと判示する。しかしながら、本件交差点のように道路の形態自体が極めて視野不良で、危険性が大である場合には、より強度の注意義務が要求されるべきであつて、原判決の判断は極めて不合理である。

第二、原判決は、被告人が被害者潮田秀臣の第二種原動機付自転車を発見後直に急制動の措置をとつたこと、被告人が転舵しなかつたことは土地の状況上それが危険であつたからであるとして、被告人の過失は認められないと判示しているが、被告人が至近距離において始めて被害車両の接近に気づいた結果の本件急制動措置は、その時点において、既に事故の禍中に入つた後のことであるから、なんら事故防止のための注意義務を履行したものとは言えない。原判決はまた、本件事故を以て被害者の過失によるものであることを強調するが、仮に被害者に過失があつたとしても、それは単に情状として考慮すべき問題であるに止まり、被告人の業務上過失傷害罪の成立を阻却すべき理由とはならないと主張する。

よつて、所論に基き本件記録並びに原判決を精査して按ずるに、本件公訴事実の要旨は「被告人は昭和三八年四月二一日午後六時五〇分頃、乗用自動車を運転し時速四〇粁位で進行中、大田区矢口町五三九番地先の交通整理の行なわれていない交差点にさしかかつたが、同交差点左側は目蒲線の築堤で見とおしがきかなかつたから、運転者としては交差点進入前一時停止、又は徐行して左右に通ずる道路の交通の安全を確かめ、危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにかかわらず、これを怠り、従前と同一速度のまま同交差点に進入した過失により、折柄左方道路から同交差点に進行してきた潮田秀臣運転の第二種原動機付自転車を左斜前方約一〇米の地点に発見して急ブレーキをかけたが、同車に自車前部を衝突させ、よつて同人に対し加療約七ケ月を要する右大腿骨粉砕骨折等の傷害を負わせたものである。」と言うにあるところ、原判決は本件交差点における両道路相互間の見とおしが不良であり、交差点内に車の先端が出るまで左右の安全を確認することが困難であることを認めながら、道路交通法第四二条の左右の見とおしのきかない交差点における徐行義務は、同法第四三条による一時停止の定めのある交差点においてはその適用が排除されると断じ、本件交差点の被害者通行の道路には公安委員会設置にかかる一時停止の標識があるから、被告人通行の道路に優先権があり、被告人側には同法第四二条の徐行義務はない。なおまた、同交差点の被告人通行の道路については、特別な情況によつて徐行或は一時停止すべき特殊事情の存在することも証拠上認められないから、被告人には徐行或は一時停止義務はなく、本件事故につき過失責任の存在が証明されないから無罪である、と判示していること所論のとおりである。

ところで、道路交通法第三五条第三六条(昭和三九年法律第九一号による改正前のもの)が、交差点における互に違つた方向からこれに進入する車両相互間の優先順位を定めたものであるに対し、同法第四二条は左右の見とおしのきかない交差点に進入する車両に対し総べての通行者との間の危険防止を目的として制定されたものであり、同法第三五条第三六条のように歩行者を除いた車両相互間の関係のみを規制したものではないのである。従つて、右法意に照らすと、たとえ、交差する車両に対しては優先する場合であつても、そのために同法第四二条の一般徐行義務が解除されるものではなく、又同法第四三条も公安委員会が特に必要があると認めて指定する交差点において、車両等に対して一時停止義務を課し(通行人にはその効力は及ばない)、これと交差する道路の車両等に優先通行を認めたに過ぎず、そのために優先車両に対し同法第四二条の徐行義務までも解除したものとは解し難い。

そして、原審が取調べた昭和三八年四月二一日付司法警察員作成の実況見分調書(添付図面及び写真を含む)、原審検証調書(添付図面、写真を含む)、及び当審検証調書(添付図面、写真を含む)によると、被告人が運行した道路(以下甲道路と称す)は東京急行電車目蒲線の築堤に沿つてこれと平行して走り、被害者の通行した道路(以下乙道路と称す)は右築堤のガード下をくぐつて直ちに甲道路と交差する関係にあり、甲道路を進行してきた被告人は左側築堤に妨げられて交差点に極く接近するまで乙道路の左右を見とおすことができず、乙道路を進行してきた被害者もガードをくぐつて甲道路との交差点にこれも極く接近しなければ同じく築堤に妨げられて甲道路の左右を見とおすことができず、極めて見とおしの悪い交差点であることが認められるから、甲道路を進行する自動車に対しては道路交通法第四二条により徐行義務があるものと言うべきである。たとえ、乙道路に公安委員会が設置する一時停止の標識があつても、右義務に消長のないこと前説示のとおりである。

そして、前記実況見分調書、鑑定書の外、昭和三九年七月二日付司法警察員作成の実況見分調書、原審証人潮田秀臣の証言、被告人の司法巡査並びに検察官に対する各供述調書、及び被告人の原審並びに当審公廷の供述を総合すると、被告人は制限時速四〇粁位で進行し本件交差点附近に至り、僅かに三十七、八粁に減速したのみで前記徐行義務を怠り、そのまま交差点を通過しようとした過失により、交差点直前で始めて被害者の原動機付自転車を発見し、急制動をかけたが及ばず、自車の前部バンバーを原動機付自転車の右側面に突き当て、被害者を右前方約七、四米の地点に刎ね飛ばし、その結果起訴状記載の如き傷害を負わしめたことを認めることができる。してみると、『被告人が徐行していたにもかかわらず、衝突していたのであるならば、勿論それは被害者側のみの過失であつて、被告人側には何等過失は存在しないものと認められるが、本件は被告人が徐行しなかつた為に被害者の原動機付自転車を交叉点直前で左前方の地点に発見し、急ブレーキをかけたが及ばず自車の前部バンバーを被害者の原動機付自転車の右側面に衝突させたものであつて、これは被告人の徐行義務違反の結果であることは明白である。故にたとえ被害者に一時停止を怠つて直進した過失があつたとしても、』被告人も右事故につき業務上過失責任を負うべきは当然であり、被告人に対し注意義務違反がないとして無罪の言渡をした原判決は道路交通法第四二条の解釈を誤り、その結果事実を誤認した違法があり、右誤認は判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免がれない。

よつて爾余の論旨に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三九七条第一項第三八二条第四〇〇条但書に則り原判決を破棄し、当裁判所において自ら次のとおり判決する。

(罪となるべき事実)

被告人は自動車運転の業務に従事する者であるが、昭和三八年四月二一日午後六時五〇分頃、普通乗用自動車を運転し、武蔵新田駅方面から第二京浜国道方面に向つて時速約四〇粁で進行中、東京都大田区矢口町五三九番地先の交通整理の行なわれていない交差点にさしかかつたが、被告人の進行する道路左側は東京急行電車目蒲線の築堤に沿い、被害者の進行する道路はその築堤下をガードによつてくぐり、被告人進行の道路と交差する関係にあるため、右築堤に防げられて相互の見とおしが、きかなかつたから、自動車運転者としては、右交差点に進入するに当つては、予め徐行して左右に通ずる道路の交通の安全を確かめ、危険の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるのにかかわらず、これを怠り僅かに三十七、八粁に減速したのみで漫然同交差点に進入しようとした過失により、折柄左方道路から同交差点に進入してきた潮田秀臣(当四二年)運転の第二種原動機付自転車を交差点直前に至るまで発見することができず、慌てて急制動の措置をとつたが及ばず、同車に自車の前部バンバーを衝突させ、よつて同人に対し加療約七ケ月を要する右大腿骨粉砕骨折等の傷害を負わせたものである。

(証拠の標目)〈省略〉

(法令の適用)

被告人の判示所為は、刑法第二一一条前段罰金等臨時措置法第二条第三条に該当するところ、本件については被害者側にも徐行を怠つた過失が窺われるので所定刑中罰金刑を選択し、その所定金額の範囲内で被告人を罰金二〇、〇〇〇円に処し、右罰金を完納できないときは刑法第一八条により金千円を一日に換算した期間被告人を労役場に留置する。なお原審訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文を適用し、全部被告人に負担させることとし、主文のとおり判決する。

(裁判長判事 石井文治 判事 目黒太郎 判事 渡辺達夫)

原審検察官の控訴趣意

第一被告人は、本件交差点において徐行または一時停止して出合頭の衝突を防止すべき注意義務があつた。

一 道路交通法上の徐行義務

原判決は、道路交通法(以下本項において法という。)第四二条において、車両等は、交通整理の行なわれていない交差点で左右の見とおしのきかないものにおいては徐行しなければならない旨を規定しているが、右規定は、法第四三条の交差点には適用がないものとする。すなわち、原判決は、法第四二条の規定は、交通整理の行なわれていない交差点における車両等の通行方法に関する法第三五条の一般規定を、左右の見とおしのきかない場合に関して補足するものと見るべきであり、両規定はともに交差する複数の道路間に優劣のない場合の通行方法を規定する点においては一般法ないし基本法の性格を有するものであるのに対し、法第三六条および第四三条の規定は、交通整理の行なわれていない交差点のうち、交差する道路の間に優劣の差のある場合についての車両等の通行方法を定めた特別法ないし特例法とみるべきであり、したがつて法第三六条および第四三条は、法第三五条および第四二条の規定の適用を排除するものと解釈するのが相当であるとし、本件においては、被害車両側の道路に、法第四三条の規定に基づいて東京都公安委員会の設置した一時停止の道路標識があつたのであるから、被害車両が一時停止して被告人の車両を優先的に通行させなければならない義務があるとともに、その反面において、被告人はなんら徐行する必要はなかつたと断じているのである。

しかしながら、右の解釈は、これら法条の制定趣旨を全く無視したところの独断であるといわなければならない。

そもそも、法第三五条ないし第三七条の規定は、たがいに異なつた道路から同一の交差点に入ろうとする場合における車両相互間の優先関係を規定したものであるが、法第四二条はもつぱら特定または指定の場所における車両等の徐行義務を、また、法第四三条はもつぱら指定場所における車両等の一時停止義務を、それぞれ定めたものであり、これら両法条ともに、その車両等の通行する道路に交わる他の道路におけるすべての通行者との間の危険防止を目的として制定されたものであつて、第三五条ないし第三七条のように、歩行者を除いた車両等相互の関係のみを規定したものでないことは、その規定自体に照らして極めて明白である。したがつて、すべて車両等は、法第四三条による指定場所においては、同条ただし書の交通整理の行なわれている場合を除いては、必ず一時停止すべき義務があり、また、法第四二条の定める場所においては常に必ず徐行しなければならない義務を負うものといわなければならない。特に注目すべきは法第四二条については、同条中において何らの除外例を設けていないばかりでなく、緊急自動車に対してさえその例外としていないことである(法第四一条参照)。これらの点からみても、同条が道路の優先関係および車両の優先順位等にかかわりなく、すべての車両に対し等しくその遵守を命じたきわめて厳格な規定であることが明白であるというべきである。

元来、車両等において自車の進行する道路が優先的道路であることを常に認識することが可能であるのは、法第三六条第一項により指定する優先道路(法施行令第七条、道路標識、区画線及び道路標示に関する命令別表第二405参照)のみに限られているのであるが、本件被告人の進行した道路は、同条項による優先道路ではないから、その道路を通行する車両等の運転者のすべてが他方の道路に一時停止の規制のあることを知悉しているとは限らない。のみならず、一時停止の規制は歩行者に対しては及ばないのであるから、法第四二条を原判決のように解すると、一時停止の規制を無視する車両等の運転者はもちろん、過失によりその規制に気づかない車両等の運転者のほかその規制外にある善意無過失の歩行者に至るまでが、これらの交差点においては、常に生命の危険にさらされることを法が許容する結果となるのであつて、かかる不合理な解釈を肯認することは到底できないところである。

(その余の控訴趣意は省略する。)

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